Vivek は Pippin グループで Mark Wu と Mark Orr に出会った。
Mark Orr と Mark Wu は Information Appliance のビジネス向け開発部門にいた。
そして彼らは共に一つの事を決めた。
「もう我々は大企業で十分に働いた。だから単独で何かやってみたい」と。
そうして彼らは Apple を離れ、Cobalt という会社をスタートさせた。
Vivek が Apple をやめたのは1996年の11月である。
発足当時の社名は Cobalt Microserver Inc. である。ドメイン名は
cobaltmicro.com だった。後に Cobalt Networks Inc. cobaltnet.com
へと変更された後、ドメイン名のみ三度 cobalt.com と変更されて現在に至っている。
独立した後、まず彼らは自分たちがどのようなプロジェクトを始めるのかを考える事に多くの時間を費やした。
何と1996年の11月から1997年の1月半ばまで 2 カ月ほども費やしたのだ。
さまざまなアイディアを考え、彼らは Cobalt を 1 月の半ばにスタートさせた。
彼らは事業計画を2月までに完成させ、それができあがると、
Founding チームはそれぞれでこのあたりのベンチャーキャピタルを回るべきだと提案した。
Vivek のオフィスの壁には Qube の最初のデザインスケッチが飾られている。
この絵のサインにある 1997年3月30日の少し後、5月に、最初のクレイモデルが出来上がった。
そしてこの4月から、Mark Wu, Mark Orr, Vivek
の三人は資金を得るためにクレイモデルを持ってベンチャーキャピタリストを回った。
彼らのアイディアは非常に優れており、6月、彼らは遂に資金を得る事に成功した。
それがCobalt を立ち上げるためのシードマネーになった。
次にベンチャーキャピタルからの資金がリリースされるまでの間、
この数十万ドルのシードマネーを使って彼らは会社をスタートさせた。
そして次のステップとして、彼らはもっと人を雇おうと思った。
しかし彼らは資金を持たず、スタートアップに幾らかかるかも分からなかったので、彼ら founder 達は6カ月の間、一切の給料を取らなかった。
しかし雇ったエンジニアには常に給料を払った。
ようやく再びベンチャーキャピタルからの資金提供を受けてから、彼ら自身が給料を得られるようになったという。
彼らは1997年の9月には ADAMNET のスタッフに Qube のプロトタイプを見せるために日本を訪れている。
Mark Orr は今でもこの時のクレイモデルを含めて、様々な種類のプロトタイプやクレイモデルをオフィスにもっているそうだ。
草創期の開発こぼればなし
私はこれらのプロトタイプの幾つかを Cobalt 社のオフィスでエンジニア達に見せて貰った事がある。
彼らは誇らしげにそれぞれについて説明してくれた。
そのうちの一つはスロットが三つ存在し、CPU カードを二つと PCI 拡張カードを
一つ収める事が出来るようになっていた。
Linux はこの頃既に SMP によるマルチ CPU を実現していたし、中速程度の CPU を
SMP 構成にするのはタフなサーバを構築するために適したレイアウトである。
しかしこのサイズのマシンでのマルチ CPU は前代未聞であり、もし実現していたらそれはセンセーショナルだったと想像する。
また、完成直前のプロトタイプの一つは、製品版とほとんど同じレイアウトながら、シリアルポートを一つ、10/100Mbps NIC、そして SCSI インタフェイスを備えていた。
更に CPU ボード上のピンコネクタには 3cm 平方程度のサイズのカードをつけて、シリアルポートを一つ増設する事すら考えられていた。
これらの機能はローエンドの製品を $1000
以下で出荷するために削除され、結局製品版である Qube 2700 では 10Mbps NIC
のみをインタフェイスに持つ、極めてシンプルなスタイルになった。
最後まで採用を検討されていたシリアルポートについては Qube 2700
の基盤上にコネクタやチップのパターンまで残っており、拡張シリアルのためのピンコネクタも CPU 基盤上に実装されたままになっている。
これらの機能のほとんどは Qube2 で再び採用されることになる。
私は Qube2 の製品仕様を見、また実物を見た時に、よくこれだけ詰め込んだものだと感心したが、その仕事は彼らにとっては難しい問題ではなかったのだ。
彼らはむしろそれを超える製品を最初の段階で作り終えており、ただコストのためにそれを削って出荷したのだ。
彼らの開発力の高さがうかがえるエピソードである。
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